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徳川家康の人質時代

徳川家康という方は、幼少期に「人質(ひとじち)」として長く過ごしています。人質というのは、外交関係のある武家同士のつながりに関係していて、関係が悪化したり戦(いくさ)になったりすると切り捨てられる。

 

泣いたり叫んだりすることは「死」に繋がる恐れのある事態。常に危険と隣り合わせの精神であったと聞きます。自身の表現するという行為は許されないのです。これが徳川家康の”我慢強さ”に影響したと言われます。

 

彼の歴史を語るには江戸幕府という後世の構図が一歩祭り上げていることがある。しかし、天下を取るにあたっては、その忠義のある家臣団に恵まれたというのはあります。岡崎城主で約140年の譜代からの家臣が多くいた。それは結束が固いというメリットも含めて、裏切りがないという利点があった。織田信長や豊臣秀吉には無かった部分です。それが”粘り強さ”と重なって天下を取ることにつながったといえます。

 

私の関心ごとは、徳川家康という人物がどのように生きたのかです。「生」というものに執着した一面も伺える。年を取った家康は自分で薬を焙じて飲んでいたことは有名で健康維持を欠かせなかった。やはり人質時代に、「耐えることには生きなければいけない」という一面があったのかもしれない。

 

武田信玄の”人は石垣、人は城・・・”のような人材智生を受け継いだようにも感じられます。織田信長を考えた流れで徳川家康について考えてみました。

 

2017.5.12(3)

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コメント

初めまして。そうすけさん歴史に詳しいですね。

これは堺屋太一さんの本に書いてあった家康についてですが
「徳川家康の航跡を振り返るとあまり冒険せず、常に自分が有利かどうかを考えて生きていた、それは天下を取るのに必要な要素だがそれに重きを置き過ぎた家康の人生は歴史として見れば非常に面白味に欠ける。これが歴史的人物の中で家康不人気の要因だろう」と書いていた(はずです)

幼少期に耐えることに生きるのが当たり前だった家康。
下手すれば今川に殺されてもおかしくない緊張の中で培われた人生は
天下を取れたが幸せと言える人生だったのか?
徳川時代になって日本人は270年も戦乱が無い時代を生きられたが、社会は特に進歩も発展も無い停滞した時代になった事は幸運と言うより不幸な歴史じゃないのか?

ブログ読んでそんな事を思いました

  • NNN
  • 2017/05/13 03:51

コメント嬉しかったです!後世の歴史家から視点を当てると、確かに家康不人気ですよね。

  • そう助
  • 2017/05/13 09:17